「理屈」について思う

 またまた「国家の品格」に書かれていた「理屈」について考えてみようと思います。
 「理屈」についても著者は数学的見地からのべていて、その「出発点」は「情緒」(論理以前のその人の総合力)であるという考え方に私は賛同します。
 人に論理的に意見を述べる時、ああいう例もある、こういう例もあると自分の狭い範囲の経験に基づいて話している気がします。それは「経験に基づいた論理」と言えるかもしれませんが、絶対的に正しいかどうか判断するのは、やはり人によって違うと思うのです。立場も違う、経験も違う、美的センスも違う相手に、どうやったら納得できる意見(理屈)が言えるか。そこに「共通の認識」があれば本当に意見が伝わりやすいとおもいます。その「絶対的認識」それを作者は「情緒」と言っているようです。その「共通の認識」が「絶対的認識」になりうるかどうかは今後の私の課題です。